Paul Auster


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|PROFILE|

ポール・オースターは1947年、ニューヨークの隣ニュージャージー州ニューアー
クにユダヤ系アメリカ人として生まれた。 ニューアークは同州最大の都市で犯罪発生率も高く、また人種も多様。家庭環境、両
親、とりわけ父親に関しては『孤独の発明』に詳しいのでここには省略するが、長じ
るまでは普通の中流生活を送ったようである。だが、中流的に少年時代を送ったわけ
では必ずしもない。両親は文学的ではなかったが、母方の叔父が残していった膨大な
文学書のおかげで早くから文学に親しみ、小説を読みふけり、12,3歳の頃から将
来は作家として立つことを決意していた。特に14歳で読んだ『罪と罰』からは多大
な影響を受けたという。他には、ヘミングウェイ、フォークナー、フィッツジェラル
ドなども好きだったようだ。

そして、コロンビア大学に進むが、映画の勉強をしたいこともあって18のときにパ
リにわたる。映画の勉強という夢はかなわなかったが、2年の遊学ののち1968年
にニューヨークに戻ってコロンビアに復学。多感な時期に大学紛争に遭遇する。69
年に卒業し、奨学金を得て修士過程に進み、1年で修士号を取得。だが、当時からす
でに詩集を出版していたり、翻訳を手掛けていたこともあり、アカデミックな道の方
へ進む気にはなれなかったようだ。

一方、パリに行きたいと思えど金はなし、というところにタンカー乗務員という仕事
が舞い込む。半年を船上で過ごしたのち、パリに到着、3年の月日を送る。その間、
翻訳をはじめいろいろな職をこなしながら、詩や小説を書きつづける。やがて、詩へ
の自負は持てるようになるものの、小説はまだまだ思うようには書けない。また金策
がつきたところで、今度は南仏の寒村にある田舎家の管理を頼まれ、そこで1年を過
ごす。

金がつきた1975年、アメリカに戻り、結婚、出版社でアルバイトするかたわら、
書評や評論を旺盛にこなし、戯曲まで書いたりする。
1979年、父親の死によって遺産がころがりこみ、本格的に小説に打ち込む余裕と
決心ができる。同年、『孤独の発明』を出版、さらに2年後には『シティ・オブ・グ
ラス』にとりかかり、1982年の夏に完成。だが、出版されるまでにはさらに時間
がかかり、17の出版社から断られるという苦渋をなめる。

ロサンゼルスの小さな前衛文学の出版社、サン・アンド・ムーン・プレスにやっと拾
われたのは1985年のことである。その後の活躍は、周知のとおり。周作時代が長
く、書き溜めたものも多かったせいか、以後矢継早に色々なタイプの小説を発表する
ことが可能となった。

現在、二番目の妻で小説家のシリ・ハストヴェットと、ふたりの間にできた娘ソフィ
ーとともに、ブルックリンのパーク・スロープという閑静な地区に暮らしている。前
妻との間の息子ダニエルは現在写真に強い興味を示しているという。

──彩流社現代作家ガイド『ポール・オースター 増補版』より抜粋








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